エセー4

私は精神分析のやりかたにソクラテスの問答法を取り入れたいと考えている。アドラー心理学の岸見一郎先生が書かれた『嫌われる勇気』や『幸せになる勇気』のように。岸見一郎先生もアドラー心理学をやる前は西洋古典哲学の学徒だったのだ。私も三嶋輝夫先生が訳したプラトンの『アルキビアデス/クレイトポン』(講談社学術文庫)や朴一功先生と西尾浩二先生が訳された『エウテュプロン/ソクラテスの弁明/クリトン』(京都大学学術出版会)を読み終えた。そのなかでも「アルキビアデス」と「クリトン」のプラトン作品が私の心をとらえた。「アルキビアデス」は長めの作品だが、ソクラテスがアルキビアデスに挑む対話篇となっている。アルキビアデスは若く、政治思想を立派にもっているが、若さゆえのうぬぼれがソクラテスをかりたてている。「クリトン」はソクラテスが獄中にいるとき、クリトンというソクラテスの親友が脱獄うながすが、それは「よく生きる」ことに反していると、ソクラテスが拒否するシナリオとなっている。私は学生のときにレポートを書いた。「なぜ、ソクラテスは脱獄しなかったのか」というテーマで。現在、岸見一郎先生の著作を読んでいるが、西洋古典哲学の素養がエッセイの行間からうかがい知ることができる。プラトンには弁論術つかいのゴルギアスがあらわれる『ゴルギアス』という長めの対話篇がある。藤澤令夫先生が訳したもので読みこんでいるが、苦しみながら考え、苦しみながら読んでいる。また、ドイツのプラトン研究者ミヒャエル・エルラ―が書き、三嶋輝夫先生など一流の先生が訳出した『知の教科書プラトン』(講談社メチエ)もやや甘口な研究書だが、「プラトンってなぁに?」と他者に訊かれたときのために学術的に説明できるように読んでいる。いずれにしても古代ギリシア哲学の「洗礼」を京都で受けたい。このことは大学への復帰への希望でもある。しかし、デイケアに毎回行くことができない自分が「独り暮らし」のストレスに耐えることができるのか?それが問題だ。沼津で「市井の学徒」としていきることもできなくはない。悩みどころだ。