失われた時を求めて カフカとハルキとオペラ 3

 レイモンドチャンドラーの『ロング・グッドバイ』を村上春樹訳で読み、フランツ・カフカの『城』を池内紀訳で読んでいる。「顔なし男」にはおほめの言葉をもらった。『ロング・グッドバイ』はむかし、映画で観たことがあるが、奇想天外ではらはらさせられたことを覚えている。鬱の現実から逃れたい。ただひたすらそのことを考えている。だからぼくは小説を書くのだ。物語を通してぼくは巫女的な存在になっている。ぼくの身体を通して乗りうつっているのだ。

 今日も川村カフカ家へ行ってリヒャルト・シュトラウスの『ばらの騎士』をレコードで聴くことにした。ウィーンの甘いメロディーが魂を癒してくれる。川村カフカも大のハルキストだ。地下室に行くと待ってましたと言わんばかりに「顔なし男」が翻訳業と小説執筆にいそしんでいた。「悲しいお知らせがある」とぼくは言った。「ワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』を売ってしまった」すると、川村カフカは悲しい顔をした。悲しい場面に不釣り合いな『ばらの騎士』の明るい主張低音が流れた。地下室の2階は<集合的無意識の世界>そのものだった。ぼくはあまり<集合的無意識の世界>のことを知らなかったのでC.G.ユングの『心理学と宗教』と『元型論』を読むことにした。フランツ・カフカ村上春樹の世界にも通じるキーワードでもあるとかんじたためでもある。

 ぼくは川村カフカと話した次の日、自宅でモーツァルトのオペラ『魔笛』を聴くことにした。これは沼津市立図書館で借りてきた3枚組のCDだ。ぼくには中学生の頃、『ねずみから見たモーツァルト』という小説を書いたことがある。