マーラーの交響曲第2番

マーラー交響曲第2番《復活》は西洋のキリスト教の「霊性」を含みながらも、ユダヤ教の「霊性」も含んでいる。私はこの曲をはじめて聴いた時、驚きを隠せなかった。とてつもない序曲にはじまり、聴衆をぐいぐいと引き寄せるとてつもない力を秘めている。曼荼羅のような東洋的な緻密さをかねそなえながら曲は進んでいく。私は激しいうつ状態にさいなまれた時、この曲を聴くことにしている。
 とてつもなくダーティな曲だが、同時に光を与えてくれるため全体の「しくみ」は健在だ。しかし、この交響曲《復活》は後半へ進むごとに「祝祭的」な様子が色濃く反映されている。確かに〝底抜けの明るさ〟はこの曲を形容するにはふさわしくない。しかし、光は確かにある。人間の辛さを光明のごとく照らす。マーラーがこの曲を書いた背景は私には知らないが、この曲にはなにがしかの言葉には形容できないメッセージがこめられているのだろう。
 グリコのおまけ気分で歌を最後にもってきたのではあるまい。マーラーの光明のごとき歌にはだれあてにもわからぬメッセージあるいは手紙が書かれているのではあるまいか。