失われた時を探して

 ニートであるぼくは失われた時を探す旅に出た。それはブルックナー交響曲と向き合うことによってぼく自身を見つめる旅だ。ぼくは統合失調症を患っていた。スワンは牧師でぼくの親友だった。神経衰弱を回復するために語学の勉強がいいと坂口安吾が言っていたのでコイネーギリシア語を学んでうつや神経衰弱から気をまぎらわしていた。作家になりたかったのでネットのnoteというアプリで雑文を書いてセラピーがわりにしていた。昔の恩師は「感情をロゴス化せよ」と口を酸っぱくして仰っていた。教員免許をとりたかった。でも、病気がそれを許さなかった。青春は二度と帰らないが、青春を取り戻したい。そのために教員免許をとろうとしたのに……。まったく、どうなってんだぼくの人生。もうすぐ30歳を迎えようとしている。もう、若者とはいえないかもしれない。スワンはマルセル・プルーストをよく読んでいた。それに感化され、ぼくもブルックナーを聴きながら読むようになった。

 大学を中退したのは苦しい決断だった。とにかく、独り暮らしが破綻していた。朝のゴミ出しがまったくできず。自炊もできず。スーパーのお弁当ばかり食べていた。音読強迫神経症や夜中の中途覚醒がひどかった。過去のことはあまりふりかえると精神衛生上よくない。これを書いている

 ぼくは自らを探すためにサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』を読むことにした。友達には「最期に主人公は精神病院に入るんだよ」と言われて興味をもったことと、近所の市立図書館に『サリンジャーをつかまえて』という興味深い本が置いてあって、是非読みたいと思ったからだ。

 映画をよく観る。DVDで。アメリカンコミックス関係が多いかな。スパイダーマンとか、バッドマンとか。映画監督をガチで目指しているので何度も観ることにしたいのだが、つかれてしまう。なんて情けないんだ。

 音楽はマーラーブルックナー交響曲を聴いている。J-POPはAimerが好きだ。小説を書くときに聴いているとインスピレーション(霊感)を感じる。現代のマルセル・プルーストになりたいな。マルセル・プルーストはコルク部屋にひきこもって執筆していたらしい。『失われた時を求めて』はとてつもなく長い。気長に読んでいかないと挫折する危険性がある。

 ぼくは聖書も読んでいて聖書のなかではイザヤ書とコリント人への手紙が好きだ。「重荷を背負った人々は来なさい」という名の高田三郎の合唱曲を聴いたことがあるが、感動した。

 作家になりたい願望が強い。どうしてだがわからない。占い師によればぼくにはメッセンジャーとしての天使、大天使ガブリエルがついているそうだ。ジャーナリストや作家に向いているとのこと。

 とりあえず、書くことがぼくにできることの精一杯の日々の罪に対する懺悔だ。

 懺悔といえばアウグスティヌスの『告白』を読んだり、旧約聖書イザヤ書を注意深くよんでいる。髙田三郎の「イザヤの預言」が大好きだ。〝死にたみ〟がおそってくると、聴くことにしている。髙田三郎の合唱曲は深い思想と敬虔な信仰に裏打ちされている。イザヤ書七十人訳ギリシア語聖書を読んで笑っていたり、大胆な訳に驚かされたりしている。

 図書館でマルセル・プルースト関係の本をごっそり借りてきた。マルセル・プルーストはぼくの分身と思い込むようにしている。コルク部屋でひきこもり、生涯のほとんどを『失われた時を求めて』にささげたマルセル・プルースト。向き合い、対話し、考察しながら膨大な作品を紐解いている。聖書の解き明かしに限りなく近い。